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なぜ、田 弘は、建築業界の秘密を公開し、お値打ち価格でも高級注文住宅が造れることを証明するのか?!お値打ち価格の家は、安かろう、悪かろうとお思いではないですか?

父親とのわかれ

今まであまり、人には話さなかったことをお話します。

私の父親は、私が8歳の時に急病で亡くなりました。誰もが寝静まる真夜中の出来事です。

その日をさかいに、何不自由なく暮らしていた私達家族の生活は一変しました。

父が亡くなった後、母は私と妹を連れ自分の実家へ帰ることにしました。
実家へ帰ってきましたが、そこに私たち三人が住める部屋は無く、
結局近所の長屋で暮らすことになります。
そこは、 一階の土間に小さな台所と共同トイレ、二階は屋根裏部屋一部屋だけの家でした。
隙間だらけの古くてボロボロの風呂無しです。

そこは、夏はサウナ冬は冷凍室のような環境でした。
冬はとても寒く、いつもコタツの中か、布団の中にもぐって部屋にいました。
特に朝は、早く起きていても寒くて布団の中から出られず、朝からひと苦労でした。
また、新聞配達をしている時などはとてもつらかった。

気丈な母は、朝早くから夜遅くまで、私たち兄弟のために一生懸命働いてくれました。
魚の加工の仕事なので、真冬でも、冷たい氷り水の中に手を入れ、魚を加工したり、
また、熱い火のそばで魚を焼いたりする姿を見て尊敬していました。

母親の思い

母は、貧しいながらも、私と妹が友達からバカにされたり辛い思いをしないようにと、
女手ひとつで頑張って私達を育ててくれました。
「父親がいなくても立派に育てる、父親のいる家庭よりも負けない。」それが母の心情、ポリシーだったように思います。

そして、いつも『人に後ろ指を指される様なことはするな。人に迷惑はかけるな。』と、しつけられました。
友達と遊んでいて、友達が悪さをしても、いつも私の方が叱られるのです。
私が「自分は悪くない。」と言っても、『人のせいにするな、おまえも悪いはず』と。

今想うと、母のそう言う想いや、父親代わりのしつけが、今の自分をつくっているのだと思います。
当時は理不尽に思えた母の教育も、今では良い思い出とともに感謝しています。(少しがんこでしたが・・・)

自分の城

小学校六年の冬、今も忘れもしない雪の良く降る日でした。

母の実家に住んでいた、私の叔母が結婚をすることになり、部屋が空くことになりました。
祖母が一人暮らしになるので、私がその部屋に住むことになったのです。

飛び上がるほどの感動だったのです。
ちょうど自立心が芽生え始めた頃だったので、 自分の部屋がもらえたことが夢のような最高の喜びでした。

その部屋は、二階の道路に面した日当たりの良い部屋で、
そこには、叔母さんが置いていってくれたステレオやテレビなどもあったのです。
普通の和室でしたが、私には、夢ような部屋でした。
今でもその時の感動はきのうように記憶されています。

待ちに待った引越しの当日、朝からはりきって部屋の掃除をして、模様替えもして、荷物を運び込みました。
あんなにワクワクしながら楽しく掃除ができたのはあの日が最初で最後かもしれません。
実際、引っ越しといっても歩いて二分ぐらいで、荷物もほとんどなかったのですが・・・。

それからは、アルバイトしては、ポスターを買っては部屋に飾ったりしました。
本当に毎日が楽しく、大げさですが”自由を手に入れた”ような感じでした。
好きなときにレコードを聞いたり、テレビも気兼ねなく見れる。
本当に嬉しかったです。

高校を卒業し建築の専門学校に行くまでは、その部屋で青春を謳歌しました。

お金のないつらさ

今想うと、この時の喜びと感動がそして貧しかった屋根裏部屋での生活が、
本当に今の私の家づくりの原点にあります。

お金のない辛さは、私はよく知っています。

家を建てようとする三十代の人たちもそれほどお金があるわけではありません。
でも、 妻のため、子供のため、両親のためにと、大切に貯めたお金を私たちに預け、
『良い家を建ててください』と言ってもらいます。

私はその言葉に応えなければいけません。
それが私の使命だからです。

そのためには、建築業界の秘密も公開しなけれはならないのです。

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なぜ家をつくるのか・・・

私は小学校の4年間と、大阪での専門学校時代の2年間、長屋暮らしを経験しています。

いずれも風呂なしの共同トイレでした。寒い冬の夜、かじかんだ手で母親の内職をよく手伝っていました。
それも今ではいい思い出です。

時代は変わり、長屋はアパートへと形を変え、めったにみかけなくなりました。

いつも議論になるのが、「アパートではいけないのか?」
「なぜ、借金してまで一戸建てを持たなければいけないのか?」ということです。

アパートではいけない、子供が悪く育つ、そんなことはまったくありません。

しかし、子供を育てる環境が将来を左右するのは間違いないと思います。環境とはなんでしょうか?
私は「教育環境」だと思います。子供に残してやるものは、家や財産ではなく、教育です。

お父さんは一生懸命働いて手に入れた家で、家族を守る姿を見せる。
お母さんは、家族の空腹を満たし、かけがえのない愛情を伝える姿を見せる。

これ以上の教育はないと思います。子供にとって親の後姿ほど、影響をうけるものはありません。

家づくりは住宅産業といいます。

しかし、私は、家づくりは生命産業だと思っています。父親は外で戦い、母親は家で子供を守る。
そして教育し、心豊かに育てていく。そのための器(うつわ)が家なのです。

かけがえのない時間を共有する・・・

私たち家づくりに携わるものは、ほんの数ヶ月ですが、お客様とかけがえのない時間を共にすることになります。
私たちとお客様との出会いは、偶然ではありません。
出会うべくして出会ったのだと思います。

もしそうだとするなら、私はその貴重な時間を大切にしたい。
「私たちが得てきた知識や技術を全てお客様のために捧げる」 そんな気持ちを持ち続けたいと思います。

「お客さんはどこにいるのだろう?」

多くの会社は、お客様を自分の住んでいる周りの世界に探し求めます。
でも、そこには本当のお客様はいません。

本当のお客様は、自分の心の中にいます。

家をつくる時は、いつも心の中にいる本当のお客様との戦いなのです。
自分にウソをつくことは、心の中のお客様にウソをつくことになります。

「田さんは、なぜ家をつくっているのですか?」

こんな質問をときどき受けます。しかし今ははっきりと答えられません。
あえていうなら、その答えを探すために毎日家づくりをしているようなものです。

これからも「お値打ち価格の高級住宅」をつくり続けます。共に生きる仲間達と・・・

中丹・丹後建築職人会

中丹・丹後建築職人会

田 弘

見学会でお会いしましょう!
「全ての責任は、私が持ちます。」

田 弘に直接届くメールアドレスです。info@koken-happy.com

追伸

いい家をつくるのは簡単です。つくり手の私たちが真剣につくればいいだけのこと。

家をつくろうと考える家族はみな素人。
どんなに勉強しても、私たちには知識も経験もかないません。
だからこそ私達は真剣に一生懸命いい家の作り方を話さなければならないと思っています。

また、完全な家など存在しません。

私たちも多くの失敗をしてきました。申し訳なく思います。しかし、だからといって家づくりをやめることはありません。
なぜなら、家をつくることが大好きだからです。
見学会でお会いしましょう!

家づくり大好き人間  田 弘 田 弘

田弘に直接届くメールアドレスです。 info@koken-happy.com